カンプタウ小学校を訪問しました。


子供たちの学習環境がどのくらい整っているのか、どれくらいの割合で学校道具を持っていない子たちがいるのか調べるために、引き続きセブ市内の小学校を訪問していました。

そんなことを数日続けていたところ、滞在先のホテルのオーナーさんから最近カンプタウで大きな火災が起こったことを伺いました。火災の被害にあった子供たちに何かできるかもしれないと思い小学校を訪れてみました。

48人の子供たちが火災の被害にあう

校長先生によれば、カンプタウ小学校では48人の子供たちが火災の影響を受けたそうです。火災が起こったのは1ヶ月前で、被害の度合いはその子の家によってまちまち。家が全焼してしまった子もいて、そういう子は学校道具から制服、普段の洋服まで一式焼かれてしまったとのことでした。

しかし地元のボランティア団体がノートやボールペン、クレヨンなどを詰めたトートバッグを彼らに寄付してくれたため彼らはそれを使って学習しているが、バックパックはないのでバッグパックの寄付は大歓迎だと言われました。

実際に被害にあった子供たちに会いに行く


火災の被害にあった子供たちの名前と学年が記されたリストを持って、各教室を回りました。子供たちに今どんな物を持っていて、何が足りないと感じるか一人一人ヒアリングしにいきました。

しかし驚いたことに彼らはバックパックも制服も全て持っていました。私が何か足りない物はないかと子供たちに聞くと「特に…」という返答で、私の目から見ても彼らが必要なものを十分持っていることは明らかでした。

担任の先生たちは「この子はあれもなくてこれもなくて、あ!制服も前は数枚持っていたのに、今は一枚じゃない?」と、彼らの足りない部分を必死で探しているようでした。

そんな先生たちに戸惑いの顔を浮かべる子供たち。子供たちはとても素直で、真実が見えやすい。彼らには不足はなかったのです。

与えるためには受け手が必要


何かを与えるためには、受けとる人を存在させる必要があります。私はこの小学校に何かできることはありませんか?というスタンスで訪問しました。そのため彼らはあえてそのスペースを作ろうとしているように思いました。

私は主にスクールバッグを寄付してて..と説明したにもかかわらず、幼稚園生の机が大き過ぎるので買い換えたいなど校内設備の不足まで引っ張り出してしまいました。

それに私は人の足りないものを探す作業にとても嫌気がさしていました。もしかしたら彼らは友だちにクレヨンを分けてもらったり、兄妹のリュックを借りたりして工夫して今の環境を実現させていたかもしれない。

それなのにあえて足りない部分に焦点を当てさせるのはどうなんだろう…と私は深く悩みました。与えたいというスタンスを取ると、同時に何かが足りない人が生まれてしまう。

私は明らかにこのスタンスは間違っていると感じ、自分から積極的に不足を探しに行く作業はやめようと思いました。

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